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本日は、2023年10月29日(日)に参拝しました福井県小浜市の「若狭神宮寺(わかさじんぐうじ)」の御朱印をご紹介させていただきますので、最後までご覧いただけますと幸いでございます。
若狭神宮寺の概要について
若狭神宮寺は、福井県小浜市にある天台宗の寺院で、山号は霊応山、本尊は薬師如来坐像です。
元正天皇の勅願により奈良時代の和銅7年(714年)、若狭国一の宮(若狭彦神社)の神願寺として泰澄大師の弟子沙門滑元によって開創されたと伝わります。
鎌倉時代初期に寺号を若狭彦神社別当寺神宮寺と改めました。
室町時代に朝倉義景の寄進により再建された本堂(重要文化財)は現存します。
本堂は和様を主体にしたなかに、木鼻に天竺様繰形、唐用束梁などの大陸の技法が用いられており、妻飾も軒隅の反転とともに華麗な姿を表しています。
また、若狭神宮寺は東大寺二月堂への「お水送り」が行われる寺としても知られています。
これは、若狭の水を奈良の東大寺に送り、東大寺の仏像の沐浴や御影供に供える神事です。
若狭神宮寺の「お水送り」は、奈良時代から続く伝統行事であり、2015年には「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 – 御食国(みけつくに)若狭と鯖街道 – 」の構成文化財として日本遺産に認定されました。
若狭神宮寺は、歴史と伝統を誇る寺院であり、福井県若狭地方の観光スポットとして人気を集めています。
若狭神宮寺の由来について
若狭神宮寺の由来
若狭は朝鮮語ワカソ(往き来)が訛って宛字した地名で、奈良も朝鮮語ナラ(都)が訛って宛字されている。この地方は若狭の中心で白鳳以前からひらけ、この谷は上陸した半島大陸の文化が大和(朝鮮語でナラともいう)へ運ばれた最も近い道であった。それは対島海流にのってきて着岸した若狭浦の古津から国府のある遠敷(おにふ=朝鮮語ウォンフー「遠くにやる」が訛った)や根来(ねごり=朝鮮語ネ、コーリ「汝の占里」が訛った)と京都や奈良が百キロほどの直線上にあることである。
この地方を拓き国造りした祖先が、遠敷明神(若狭彦命)で、その発祥地が根来の白石で、部へ近道の起点に良地をえらび、遠敷明神の直孫和朝臣赤磨公が八世紀初め山岳信仰で、紀元前銅鐸をもった先住のナガ族の王を金鈴に表わし地主の長尾明神として山上に祀り、その下に神願寺を創建された。翌年勅願寺となったその秋には、紀元一世紀頃、唐服を着て白馬に乗り影向し、すでに根来白石に祀られていた遠敷明神を神願寺に迎え神仏両道の道場にされた。これが若狭神願寺の起源で鎌倉時代初め若狭彦神社の別当寺となって神宮寺と改称したのである。
又、神願寺の開山赤磨(和氏)公は白石の長者の神童(幼児)を大和に伴い当寺の名僧、義淵僧正(大樹)に托され、後東大寺開山良弁僧正となられ、神願寺へ渡来した印度僧実忠和尚が良弁憎正を助けて東大寺を完成し、さらに二月堂を建て、お水取り行法を始められた。その若狭井の水源が白石の鵜之瀬であることから、白石神社で行ったのを伝え根来八幡宮では毎年三月二日、山八神事を行い同日夜、神宮寺から神人と寺僧で鵜ノ瀬へお水送り神事がある。
若狭神宮寺の略歴
「若狭神宮寺〜奈良二月堂 お水送りの寺〜」パンフレットより
- 西暦 七一四
四三代元明天皇和銅7年若狭彦神の直孫和朝臣赤麿公が金鈴を地主長尾明神と祀り鈴応山信願寺を創建する。- 西暦 七一五
四四代元正天皇霊亀元年勅願寺となり同年秋九月に若狭彦姫神を根来白石より迎え神仏両道の寺とする。- 西暦 七九八
五○代桓武天皇延暦十七年勅願で七堂伽藍廿五坊を再建本尊尚三に付胎内に入れ大像を新造し安置する。- 西暦 一○八三
七三代白河天皇永保三年落雷で本堂焼失し本尊如来も焼失、千手観音(現存)は難を避けられる。- 西暦 一二三九
延応元年将軍頼経公祈願寺となり荘園寄進され七堂伽藍廿五坊を再建十二神将(現存)を安置本堂五間四面となる。- 西暦 一二四八
宝治二年当寺が若狭彦神社を造営し別当寺となり神宮寺と改称し、鎌倉幕府祈願寺社七大寺七大社の内に加えられる。- 西暦 一五四五
天文十四年雷火で本堂焼失諸仏像は全て難をさける。- 西暦 一五五三
天文二十二年本堂再建(現存)入仏落慶供養あり。- 西暦 一五七二
天正元年若狭守護職武田元明山内桜本坊にかくまう。- 西暦 一五八二
天正十年武田元明明智光秀に同盟の罪、切腹させられる。- 西暦 一五八八
天正十六年当寺と若狭彦神社の荘園を秀吉が全部奪う。- 西暦 一六六二
寛文二年若狭大地震本堂仏像破損する。- 西暦 一六七五
延宝三年本堂修理、仏像も修全て塗りなおす。- 西暦 一八七一
明治四年国家神道により若狭 彦神社を国幣社とされ当寺境内遠敷明神社も神仏分離令に より、社殿を毀し神体を差出 させられる。身代りを出し神体(現存)は本堂に秘蔵する。
若狭神宮寺の境内について
若狭神宮寺を参拝した際、境内を散策しながら写真に収めてみましたので、その一部をご紹介させていただきます。
本堂
国の重要文化財にも指定される神宮寺の本堂は、室町時代の天文22年(1553年)に一乗谷に一大勢力を構えた朝倉義景による再建とされています。
若狭神宮寺の本堂は、間口14.34m、奥行き16.60m。
若狭神宮寺の本堂には、注連縄(しめなわ)がかかっています。
また、本堂はお水送り堂とも呼ばれているようです。
建築様式は、和様を主体とする折衷様で、建坪は110坪とのことです。
本堂からの眺め
境内はとても広々としており、本堂の前は芝で整備されています。
紅葉も少しずつ赤く染まってきています。
銀杏も黄色に染まってきていますね。
秋の境内は緑、赤、黄など、さまざまな色彩で参拝客をもてなしてくれます。
本堂の右手には、茅葺き屋根の茶室があります。
きっと紅葉と茅葺き屋根は絵になることでしょうね。
本堂の裏手に回ると、そこは緑一色の景色に様変わり。
視線を下ろしてみれば、深い緑色の苔が一面に。
ちょうど小雨が降っていましたので、苔も生き生きとしていました。
倒木にも苔が生えており、時間の経過を感じることができました。
茶室
萱葺き屋根の建物には、茶室の6畳間と囲炉裏のある8畳間があります。
椎の木(スダジイ)
小浜市の天然記念物に指定されている椎の木(スダジイ)です。
幹周りは6.4m、高さは18mとのこと。
樹齢は推定で500年とのこと。
神宮寺の長い歴史を見て来たことでしょう。
閼伽井戸
閼伽井戸(あかいど)は、境内の奥にひっそりと佇んでいます。
住職に言われるまで気が付かず、ご丁寧に教えていただきまして、心より感謝しております。
毎年3月12日に奈良の東大寺二月堂で行われる「お水取り」という行事に先駆けて、毎年3月2日に「お水送り」という行事が若狭神宮寺で行われます。
お水取りとお水送りは、小浜から送られるお香水が鵜の瀬から10日をかけて東大寺二月堂の若狭井に届くとされる春の行事です。
毎年3月2日に行われるお水送りは、若狭神宮寺の閼伽井戸で組まれた水を、巨大松明を掲げた白装束の山伏たちによって鵜の瀬に運ばれ、お香水として流すというもの。
1300年以上の歴史があるとのことです。
境内の風景
若狭神宮寺の御朱印について
若狭神宮寺の御朱印と御朱印に関する情報を紹介させていただきますので、参拝時の参考にしていただけましたら幸いです。
時間 | 9時00分〜16時00分 |
場所 | 表門 入山拝観受付口 |
若狭神宮寺の御朱印
初穂料 | 300円 |
御朱印帳への書き入れ | 可 |
拝観受付時に御朱印帳をお預けすることで、拝観中に御朱印を書き入れていただくことができます。また、3月2日に行われるお水送り神事に合わせ、当日限定の御朱印と厄よけの護符午王宝印を授与しているようです。
若狭神宮寺の詳細について
若狭神宮寺の詳細情報をご紹介させていただきますので、参拝時の参考にしていただけましたら幸いです。
寺院名 | 神宮寺 |
山号 | 霊応山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 薬師如来 |
創建 | 和銅7年(714年) |
開基 | 沙門滑元 |
札所等 | 若狭観音霊場 第16番 |
文化財等 | 本堂(国指定重要文化財) 仁王門(国指定重要文化財) 木造男神(国指定重要文化財) 女神坐像(国指定重要文化財) 椎の木(市指定天然記念物) |
参拝時間 | 9時00分〜16時00分 |
参拝料金 | 500円 |
所在地 | 福井県小浜市神宮寺30号4番地 |
電話番号 | 0770-56-1911 |
ホームページ(参考) | https://www.obama-8-temples.jp/temples/jinguji/ |
若狭神宮寺の交通案内について
若狭神宮寺へのアクセスをご紹介させていただきますので、参拝時の参考にしていただけましたら幸いです。
車でのアクセスについて
- 舞鶴若狭自動車道小浜インターチェンジから車で約10分。
駐車場
利用時間 | 9時00分〜16時00分 |
料金 | 無料 |
台数 | 5台 |
備考 | - |
公共交通機関でのアクセスについて
- JR小浜線小浜駅からタクシーで約10分。
位置(Google Map)について
若狭神宮寺の参拝を終えて
最後までご覧いただきまして、心よりお礼申し上げます。
若狭の神社や寺院を巡る機会がこれまでなかったため、思い切って金沢か車を走らせて訪れてみました。
若狭神宮寺の参拝は初めてのことでしたが、あいにくの小雨混じりの空模様のため、境内をくまなく散策することが難しく、また改めて伺いたいと思っています。
それにしても、静かに佇む若狭神宮寺は神仏習合のとても神秘的な空間で不思議な気持ちになりましたし、見上げれば色付き始めた木々、見下ろせば深い緑の苔など、目にも美しい空間でもありました。
なお、この記事は、パンフレットやインターネット上の情報などを参考にし、作成させていただきました。
正確に記載するよう努めておりますが、万が一、記事の内容に誤りなどがございましたら、お問い合せからご連絡いただけますと幸いでございます。
御朱印は神社や寺院への参拝の証です。
旅先や出張先でご縁をいただいた神社や寺院を参拝させていただいた際、旅の思い出とともに持ち帰り、大切に保管させていただいております。
参拝や御朱印いただいた私の記録として、御朱印巡りを楽しまれている皆様にも情報共有を目的としておりますが、皆様にもご縁をお裾分けしたいという気持ちを込めて、ご紹介させていただいております。
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